夜も更け、身を清めるため皆で銭湯へ向かうことになった。
「おーい、雛。銭湯行こうぜ」
宇随が呼ぶと、雛は気まずそうに答える。
「うーん、まだ酔いが冷めないから、もう少しあとで行きます」
「えー、じゃあ俺もあとで行く」それはまずい、雛が宇随の背中を押した。
「待ってなくていいです、早く行ってください」
雛に強く言われた宇随は、残念そうな顔を向けながらすごすごと屋敷を出ていった。
そのあとから隊長の伊藤が心配そうに雛に近付いてきた。「斎藤、具合が悪いのか?」
「いえ、大丈夫です。少し酔っただけで……あとで行くので先にどうぞ」笑顔で答える雛の顔を覗き込み、少し安心した表情で伊藤は頷いた。
「そうか、ではな」
伊藤は本当に面倒見が良く、一人一人をしっかりと見ている。
隊のことを一番に考え、隊員たちのことも大切に思ってくれていた。伊藤の背中を見つめながら、あの人が隊長で良かったと心から思う雛であった。
銭湯の営業時間ぎりぎりの時間を狙って、雛は銭湯へと向かう。
向っている途中、二人の隊員とすれ違った。あと四人か……なんとか切り抜けなければ。と気合を入れる雛。
銭湯の入口で、もう一人の隊員と出会う。
よし、あと三人。高鳴る胸を押さえ、雛は脱衣所へと向かった。
下手したら、戦闘の時よりも緊張している。
気持ちを落ち着け、雛は足を進めていく。 本来なら、雛は女湯へ行くべきだが、今は男装しているのでそうもいかない。 ドキドキする胸を押さえつつ、脱衣所の前へ立った。思い切って脱衣所へ入った雛の目に飛び込んできたのは、伊藤だ。
ちょうど着替えを終え、出ていくところのようだった。雛を発見すると、伊藤は優しく微笑んだ。
「おう、やっときたか。あと三十分で銭湯は閉まってしまうからな」
「は、はい。お気遣いありがとうございます」「そいつは男だ」 今まで黙っていた神威が突然口を開いた。 皆驚いて神威へと視線を向ける。 山本は神威のことが苦手なのか、少し怖気づきながら問いかける。「な、なんでそう言い切れるんだ?」 「俺は見た」 「な、何を」 「斎藤の裸」 皆が目を丸くして神威を見つめる。「どういうことだよ! いつ見たんだっ?」 突然いきり立った宇随が、神威に迫りながら問いただす。 それに動じず、神威は冷静に言い返した。「おまえだって見たんじゃないのか? 一緒に風呂に入っていただろう」 そう言われ、そういえばと宇随は考えた。「でも待てよ、俺」 そこで神威が宇随の口に手を当て、それ以上の発言を止める。 神威は宇随の耳元でそっと囁いた。「斎藤を救いたければ、俺に話を合わせろ」 神威は山本に向き直る。「俺は銭湯に行ったとき、斎藤の裸を見た。 宇随も見たはずだ、斎藤と一緒に風呂に入っていたからな。なあ宇随」 神威が宇随をじっと見つめる。「あ、ああ……ああ! 俺も見たぜ、こいつは正真正銘の男だ!」 二人の発言により、山本の頭は混乱した。 せっかく斎藤をぎゃふんと言わせてやれると思ったのに、これでは形勢逆転じゃないか。 このままでは済まさない。「そんなの信用できない! 二人は斎藤と仲がいい。口裏合わせてるんじゃないのか!」 「そこまで! もうやめないか」 伊藤がしびれを切らして口を出した。 山本に鋭い眼光を向ける。「山本、いろいろ思うところがあるのはわかる。だが、これは隊にとって最善を考え決めたことだ。 これ以上斎藤を責めることは、私が許さない」 伊藤の強い口調と眼差しに、山本は悔しそうに黙り込む。 さすがの山本も、伊藤に睨まれると何も言えなかった。「……わかりました。すみませんでした」 山本は伊藤
次の日から、さっそく訓練が始まった。 持久力、筋力、素早さを上げるトレーニングと共に、実践形式で二人一組になり試合を展開していく。 それを六人がローテーションで回っていくという仕組みだ。 全員が一度は手合わせできるようになっていた。 雛、神威、宇随は最強トリオの名のもとに、好成績を残していく。 もちろん宇随は、雛と神威以外には負けなかった。 しかし、どうしても二人には敵わない。 そんな中、注目されたのは雛と神威の勝負だった。 これには伊藤も驚きを隠せず、食い入るように二人の試合を見物する。 雛と神威は一歩も引かず、人知を超えた試合を繰り広げていた。 目に留まらぬ速さで二人はぶつかり合う。激しくぶつかる音だけが辺りに響き渡っていた。 誰も二人の姿を追っていける者などいない。「あいつら、バケモンかよ」 宇随の目を持ってしても、二人のわずかな軌道しか見えなかった。 悔しそうに唇を噛みつつ、宇随は眩しそうに二人を見つめる。 他の隊員たちは何も言えず、ただ呆然と突っ立て二人の試合を見守るしかない。 彼らの目にはもう、何も映っていないのだ。 そんな中、伊藤は静かに二人の試合を見届けようと懸命に二人の軌道を追っていた。「これほどとは……」 満足そうに頷き、伊藤は口の端を持ち上げ嬉しそうに微笑んだ。 雛と神威の激闘は、いつ終わるのか先が読めない。 二人の集中力は素晴らしく、いつまでも続くような予感をさせていた。 皆は二人を放っておき、それぞれの修行に集中することにした。「そこまで、やめ!」 伊藤が皆に向かって叫んだ。 全員、戦いを中断し、伊藤のもとへ集まる。「これから、この隊の副隊長とリーダーを発表する」 突然の発表に、皆は驚き顔を見合わせる。「副隊長には私の補佐をしてもらう。これから隊をまとめていく重要な役割だ。 ――中村神
「宇随!」 そのとき、突然風呂場に声が響いた。 声の方へ視線を向けると、風呂場の入口に立ち、こちらを見つめる神威の姿があった。 彼は服を着ているので、もう既に風呂からあがったあとだろうか。「隊長がおまえを探していたぞ」 神威がそう発言すると、驚いた宇随が勢いよく立ち上がった。「え! マジか」 男の裸体が真横にあるという事実に、雛は気が気で無かった。 視線を宇随とは反対の方へ向ける。「なんだよ、俺何かしたっけ……。 雛悪い、俺先行くな。おまえものぼせないうちにあがれよ」 宇随は急いで風呂場をあとにする。 やっと解放された雛は肩の力が抜け、ほっと息をついた。 すると今度は神威が近づいてくる。 宇随の次は、神威か! と雛が気を張って身構えていると……湯舟の縁にそっと大きな布が置かれた。「ほんとにのぼせるぞ。俺はもう行くから、早くあがってこい」 雛は驚き神威を見上げた。すると、神威は雛から顔を背けあらぬ方を向いていた。 思いもしない出来事に、ぼけーっと神威のことを見つめる雛。「……外で待ってる」 そう言うと、顔を背けたまま彼は風呂場から出ていった。 雛は神威の行動の意味をどう受け止めればいいのか悩んでいた。 伊藤が宇随を呼び出したことも、もしかして神威が私を助けてくれるための嘘だったのかもしれない。 そして布――持ってきてくれて、すごく助かった。が、神威が持ってくる理由がわからない。 まさか雛の正体が女だとバレているのか……? だとしたら、なぜ彼はそのことを言ってこない? 黙っていることで神威に何か得があるのだろうか。 銭湯の出口から雛が姿を現すと、すぐ傍で待っていた神威が声をかけてきた。「いくぞ」 「は、はい」 さっさと歩いて行ってしまう神威の後を、雛は駆け足で追っていく。 二人は微妙な距離を保ちつつ、夜の町
夜も更け、身を清めるため皆で銭湯へ向かうことになった。「おーい、雛。銭湯行こうぜ」 宇随が呼ぶと、雛は気まずそうに答える。「うーん、まだ酔いが冷めないから、もう少しあとで行きます」 「えー、じゃあ俺もあとで行く」 それはまずい、雛が宇随の背中を押した。「待ってなくていいです、早く行ってください」 雛に強く言われた宇随は、残念そうな顔を向けながらすごすごと屋敷を出ていった。 そのあとから隊長の伊藤が心配そうに雛に近付いてきた。「斎藤、具合が悪いのか?」 「いえ、大丈夫です。少し酔っただけで……あとで行くので先にどうぞ」 笑顔で答える雛の顔を覗き込み、少し安心した表情で伊藤は頷いた。「そうか、ではな」 伊藤は本当に面倒見が良く、一人一人をしっかりと見ている。 隊のことを一番に考え、隊員たちのことも大切に思ってくれていた。 伊藤の背中を見つめながら、あの人が隊長で良かったと心から思う雛であった。 銭湯の営業時間ぎりぎりの時間を狙って、雛は銭湯へと向かう。 向っている途中、二人の隊員とすれ違った。 あと四人か……なんとか切り抜けなければ。と気合を入れる雛。 銭湯の入口で、もう一人の隊員と出会う。 よし、あと三人。 高鳴る胸を押さえ、雛は脱衣所へと向かった。 下手したら、戦闘の時よりも緊張している。 気持ちを落ち着け、雛は足を進めていく。 本来なら、雛は女湯へ行くべきだが、今は男装しているのでそうもいかない。 ドキドキする胸を押さえつつ、脱衣所の前へ立った。 思い切って脱衣所へ入った雛の目に飛び込んできたのは、伊藤だ。 ちょうど着替えを終え、出ていくところのようだった。 雛を発見すると、伊藤は優しく微笑んだ。「おう、やっときたか。あと三十分で銭湯は閉まってしまうからな」 「は、はい。お気遣いありがとうございます」
夕刻、屋敷の広間では盛大な宴が催されていた。 豪華な食事と酒が提供され、皆少し羽目を外している。「雛ちゃん、可愛いねぇ。お酌してくれる?」 隊の仲間の一人が、雛に絡んでくる。 顔は真っ赤で、ろれつも回っていない。完全な酔っぱらいだ。「え? ああ、はい」 雛が場の空気を読み、お酒を注ごうとする。「ちょっと待て! 誰がこいつにちょっかい出していいって言った?」 ふらふらとした足取りで雛に近付いてきた宇随。その顔は真っ赤だった。「こいつにお酌してもらおうなんて、ひっ、百年早いんだよっ。出直してこい!」 だいぶ酔っているようで、態度がいつも以上にデカく横柄になっている。「なにーっ。おい宇随、おまえ雛ちゃんに負けたくせに、偉そうに言うな」 「あーーっ、それ言っちゃうんだ。ひでーっ。 そうですよぅ、どうせ俺は雛に負けましたよ。情けない男だようっ」 今度は宇随がメソメソと泣き出した。 コロコロと気分が変わる、やっかいな酔っ払いだ。「雛、俺カッコ悪いよな?」 雛の方へ体をぐっと近づけてきた宇随。その顔が、もうすぐくっつきそうなほど近くになった。「そこまで!」 急に宇随の顔が誰かに掴まれ、雛から引き剥がされる。「うがっ」 宇随が呻く中、神威が不機嫌そうな表情で見下ろしていた。「酔っ払いの絡み合いは見苦しいぞ、その辺にしておけ――あと」 先ほど雛にお酌をねだっていた男を鋭い眼差しで睨みつけた神威が、その男の耳元でそっと囁く。「あまり調子に乗っていると……知りませんよ」 真の底から冷えるような声音とは裏腹に、神威の顔は笑っていた。 それが余計に恐ろしさを倍増させる。 男は一気に青ざめ、酔いがさめたかのように急に真面目な顔をして雛に謝った。「ご、ごめんな、調子にのりすぎたよ。勘弁してくれ」 「いえ、私は別に……」 男はいそいそと自分の席へ
合格した六人は、これから拠点となる屋敷へと連れていかれた。 とても広く大きなお屋敷に皆が目を丸くする。 大きな門をくぐると、そこには広大な敷地が広がっており、天気のいい日は外で稽古ができそうな程だった。 奥の方には立派な玄関が構え、その向こうの大きなお屋敷へと続いている。 屋敷の大きさから、中も相当広いことが予想できた。 試合会場となっていたところとかなり似ている。もしかして、提供している人物は同じなのかもしれない。 距離も先ほどの所から、そう遠くはなかった。 こんな豪華な屋敷に住まわせてもらえるのかと、驚きと喜びがないまぜになった瞳で皆はお屋敷を眺める。「ここは、私の主である黒川様に用意してもらった。 黒川様はこの隊を作られたお方だ。 皆が訓練に集中できるようにと考え、配慮されたのだ。 いずれ会う機会もあるかもしれないから、心しておくように」 「はい!」 伊藤を先頭に、一同は整列し屋敷の中へ入っていく。 屋敷内を回りながら、伊藤がそれぞれの部屋を案内をしていった。 一通り説明し終えると、伊藤は皆に向き直った。「これからここで、皆には寝食を共にしてもらう。お互い信頼関係を築き、連携を大切にするように。 また、稽古や訓練に励み、さらに剣術の腕を磨くように。そして、黒川様の命が下ったときは、君たちの出番だ。 それまでは、ここで精進すること、以上!」 「はい!」 皆の緊張感が漂う中、伊藤の表情が緩んだ。「……まあ、今日は合格祝いと親睦会も兼ねて、宴会を開こうと思っている。それまで自由時間だ。 今日はご苦労だった、解散!」 伊藤はそれだけ言うと、皆に背を向け去っていく。 残された者たちは互いに顔を見合わせた。「宴会だってさ、楽しみだな」 「俺疲れたから寝てくるわ」 「僕は町へ行ってくる」 それぞれの自己紹介が済んだあと、皆思い思いに散らばっていった。 宇随は雛を誘おうとしたが、